神道政治連盟(略称・神政連)は、世界に誇る日本の伝統や文化を後世に正しく伝えることを目的に、昭和四十四年に結成されました。
戦後の日本は、経済的にめざましい発展を遂げた一方、個人と公共心とのバランスを欠いた、行き過ぎた個人主義が引き起こした事件が数多く見られるようになりました。
神政連は、日本らしさ、日本人らしさを回復し、私たちが生まれたこの国に自信と誇りを持つことができるよう、神道の精神に基づいて憲法改正などさまざまな運動に取り組んでいます。 |
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神道政治連盟について知りたいのであれば、同時に日本会議についても知るべきである。
なぜなら、目的が全く同じだからである。
まるで双子のような関係性である。
その目的とは・・・
「憲法を改正して、天皇を国民統合の中心とした大日本帝国を再興し、中国・ロシア・北朝鮮に対抗する軍事力(=核)を持ち、真の独立国家を建設せん」ということである。 |
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神道政治連盟の「神政連が目指す国づくり」と日本会議の「設立宣言」を比較する。
日本会議
設立宣言
①我が国は、古より多様な価値の共存を認め、自然との共生のうちに、伝統を尊重しながら海外文明を摂取し同化させて鋭意国づくりに努めてきた。
明治維新に始まるアジアで最初の近代国家の建設は、この国風の輝かしい精華であった。
②また、有史以来未曾有の敗戦に際会するも、天皇を国民統合の中心と仰ぐ国柄はいささかも揺らぐことなく、焦土と虚脱感の中から立ち上がった国民の営々たる努力によって、経済大国といわれるまでに発展した。
③しかしながら、その驚くべき経済的繁栄の陰で、かつて先人が培い伝えてきた伝統文化は軽んじられ、光輝ある歴史は忘れ去られまた汚辱され、国を守り社会公共に尽くす気概は失われ、
ひたすら己の保身と愉楽だけを求める風潮が社会に蔓延し、今や国家の溶解へと向いつつある。
④加うるに、冷戦構造の崩壊によってマルクシズムの誤謬は余すところなく暴露されたが、その一方で、世界は各国が露骨に国益を追求し合う新たなる混沌の時代に突入している。
にもかかわらず、今日の日本には、この激動の国際社会を生き抜くための確固とした理念や国家目標もない。このまま無為にして過ごせば、 亡国の危機が間近に忍び寄ってくるのは避けがたい。
⑤我々は、かかる時代に生きる日本人としての厳しい自覚に立って、国の発展と世界の共栄に頁献しうる活力ある国づくり、人づくりを推進するために本会を設立する。
ここに二十有余年の活動の成果を継承し、有志同胞の情熱と力を結集して広汎な国民運動に邁進することを宣言する。
平成9年5月30日 日本会議設立大会
(段頭の○数字はサイト管理者による) |
神道政治連盟
神政連が目指す国づくり
1)万世一系の皇統と悠久なる歴史を持つ皇室と日本の伝統文化を尊重し、自国の文化に誇りを持てる社会づくりをめざします。
2)日本の伝統と国柄に基づき、国土と国民を守ることのできる憲法の制定をめざします。
3)日本を守るために尊い命を捧げられた、靖國神社に祀られる英霊に対する国家儀礼の確立をめざします。
4)国民の生活や社会の重要な基盤となる家族の絆を大切にできる社会の実現をめざします。
5)道徳心や豊かな感受性を育み、子供たちが未来に希望を持つことのできる教育の実現をめざします。
6)日本の史実に対する誤った認識を払拭し、世界から尊敬される道義国家、世界に貢献できる国家の確立をめざします。
7)諸外国と友好親善を深めつつ、北方領土や竹島、尖閣諸島など、日本の領土を自身で守れる社会をめざし、国民意識を啓発します。 |
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まずこちらを読んでほしい。
日本会議とは~~~その欺瞞と闇~~~ (shingu-net.com)
そして神道政治連盟の唱える「神政連が目指す国づくり」の言わんとしていることと、そのでたらめを浮き彫りにする。
1)万世一系の皇統と悠久なる歴史を持つ皇室と日本の伝統文化を尊重し、自国の文化に誇りを持てる社会づくりをめざします。
初代天皇である神武天皇より始まる天皇の皇統は、今上天皇で第126代だと主張している。
まず、この皇統について、日本会議も神道政治連盟も間違っている。
実は今上天皇で第127代なのである。
正当な皇統は、第15代は応神天皇ではなく、神功皇后である。
そしてそれ以降、応神天皇は第16代、仁徳天皇は第17代と、今上天皇に至るまで1代ずつ繰り下がって数えなければならない。
その理由については後述する。
「万世一系の皇統」などと大仰なことをのたまわっている割には、正しい皇統すらわかっていない。
長大息の他はない。
次文の「日本の伝統文化を尊重し、自国の文化に誇り云云」とあるが、実に抽象的・曖昧である。
「尊重すべき伝統文化」とは何なのか?
「自国の文化に誇り・・・」とは何なのか?
具体的なことはまったく何も書いていない。
この部分は日本会議の「設立宣言①」に対応する。
「我が国は、古より多様な価値の共存を認め、自然との共生のうちに、伝統を尊重しながら海外文明を摂取し同化させて鋭意国づくりに努めてきた。明治維新に始まるアジアで最初の近代国家の建設は、この国風の輝かしい精華であった」と。
実に抽象的にして曖昧なので、代わりにここで具体的に説明するとしよう。
「日本の尊重すべき伝統文化」とは、天照大神を日本における根本の神として崇めることである。
一聞しただけでは飛躍的に聞こえてしまうが、何も矛盾はない。
こういうことだ。
天皇は日本国民統合の中心である。
↓
国民統合の中心である天皇が崇め奉っているのが天照大神である。
↓
天皇が崇め奉っているのであれば、日本国民も天照大神を崇め奉るべきだ。
↓
これが日本の伝統文化なのだ、と。
そして「伝統を尊重しながら海外文明を摂取し同化させて・・・」とは・・・・・・
第30代欽明天皇治天下13年10月1日、百済国聖明王より仏教とともに仏像経等が届く。
いわゆる「仏教伝来」である。
この欽明天皇も、神政連では第29代となっているが、正式には第30代である。
この仏教を日本会議も神政連も「海外文明」の一つと位置づけている。
そして1549年、フランシスコ=ザビエルがキリスト教を日本に持ち込んだ。
このキリスト教は論外。
排除すべきであったが、同化させてしまった。
これも後述する。
つまり、天照大神こそ日本の根本の神であることを基礎として、その上にアジア思想の源流である仏教と、ヨーロッパ思想の源流であるキリスト教を取り入れて同化させてきたことによって日本を発展させたことが日本の文化であり、誇りであると言いたいのである。
逆説的に言うと、日本は世界に類を見ない万世一系・悠久の歴史があり、これこそが日本の文化であり誇りであるのは、神武天皇以来二千六百有余年、「天照大神を根本の神」として崇め奉ったからこそであると言いたいのである。
さらに次文の「自国の文化に誇りを持てる社会づくりをめざします」を解説する。
「日本は先の戦争で悪いことをした」という「自虐史観」に侵され、今の日本人は日本に誇りを持てなくなってしまった。
愛国心を失ってしまった。
つまりここで言う「自国の文化に誇りを持てる社会づくりめざします」とは・・・・・・
天照大神を崇める神道を復活させることによって自国の文化に誇りを持てるようになる。
↓
愛国心を持てるようになる。
↓
そのためには神道を復活させて国家的に崇め奉る社会を作っていく必要がある。
↓
憲法を改正し国家神道を復活させる。
これが「日本会議」と「神政連」の主張の根底である。
再び「天照大神を根本の神」とすることこそが、彼らの目的である。
すなわち「国家神道の再興」が彼らの主張であり、目指していることなのである。
この主張の根底が間違っていることを以下簡略に説明する。
まず前提として、何が間違っているのかというと、「天照大神を根本の神」であるということ。
根本的に間違っている。
その証拠は歴史にはっきりと証明されている。
この歴史上の証拠を無視してはいけない。
その証拠とは・・・・・・
先述したとおり、第30代欽明天皇の御宇に百済より仏教が伝来した。
このとき、欽明天皇は蘇我稲目と物部尾輿の二人の豪族に問うた。
「この仏を崇めるべきか捨てるべきか」と。
これに対して蘇我稲目は「崇めるべきだ」と。
逆に物部尾輿は「捨てるべきだ」と。
このとき、日本国中に大疫病が蔓延し、多くの人々が苦しんだ。
これを見て、物部氏は「日本古来の神を裏切ったからだ」と主張。
これに対して蘇我氏は「敬うべき仏を敬わないからだ」と主張した。
欽明天皇はこのときに物部氏の主張を受け入れた。
これに喜んだ物部氏は、仏像を焼き、槌で打ち砕き、寺塔を焼き払い、僧尼を鞭打ちにした。
この時に不思議なことが起こった。
雲もないのに大風が吹き始め、雨が降り、内裏が燃え上がり、天皇と物部尾輿と蘇我稲目は疫病にかかってしまった。
この疫病により物部尾輿は苦悶の中に寿終した。
天皇と蘇我稲目はかろうじて蘇生した。
しかし決着がつかないまま次の代になった。
次代天皇は欽明天皇の第2子・第31代敏達天皇、物部氏は尾輿の子・守屋、蘇我氏は稲目の子・馬子。
この頃、敏達天皇の甥にして、次代第32代天皇となる用明の子として、聖徳太子が生まれる。
八歳の太子云く「西国の聖人釈迦牟尼仏の遺像、末世に之を尊めば則ち禍を銷し福を蒙る、之を蔑れば則ち災を招き寿を縮む」等云云。
これを聞いた物部守屋は怒り、「蘇我は勅宣を背いて他国の神を礼す」と。
疫病未だ止まず、人民は死に絶えるほどであった。
このとき敏達天皇は勅宣を下した。
「馬子のみが仏法を持て。その他は仏法を退けよ」と。
これを聞いた守屋は寺塔を倒し、仏像を焼き、僧尼の袈裟を奪い、鞭打ちにした。
そのとき、またもや天皇及び物部守屋と蘇我馬子が疫病にかかり、その苦悩は「切るがごとし、焼くがごとし」であった。
ついに585年8月15日、敏達天皇は崩御された。
この時、聖徳太子14歳。
敏達天皇の後に聖徳太子の父である用明天皇が即位。
即位より2年後、用明天皇は疫病にかかり、そのとき下した皇勅に云く「三宝に帰せんと欲す」と。
ついに用明天皇は崩御された。
天皇空位の間、物部守屋は聖徳太子と蘇我馬子を討つべく、軍勢を集めた。
これに馬子と太子は対抗した。
この争いは4度あり、3度は太子と馬子は負けた。
第四度めに太子願を立てて云く「釈迦如来の御舎利の塔を立て四天王寺を建立せん」と。
馬子願いて云く「百済より渡す所の釈迦仏を寺を立てて崇重すべし」云云。
物部守屋云く「此は我が放つ矢にはあらず。我が先祖崇重の府都の大明神の放ち給ふ矢なり」と。此の矢はるかに飛て太子の鎧にあたる。
太子名乗る「此は我が放つ矢にはあらず、四天王の放ち給ふ矢なり」と。
矢はるかに飛んで守屋が胸にあたりぬ。はたのかはかつ(秦川勝)頚をとる。
この合戦は用明崩御の後、崇峻天皇即位の間であった。
やがて崇峻天皇が即位し、太子は願を立てた通りに四天王寺を建立し、馬子は元興寺を建立した。
物部守屋の「神」は負け、聖徳太子の「仏」が勝ち、神の国は仏の国になった重大な歴史上の事実である。
神を降し仏を立てるこの戦いに勝ち、崇峻天皇崩御の後に即位した推古天皇の摂政となった聖徳太子は、仏を敬い、国家を安泰にすべく、早速「十七条憲法」を制定した。
すなわち、八歳の太子云く「西国の聖人釈迦牟尼仏の遺像、末世に之を尊めば則ち禍を銷し福を蒙る、之を蔑れば則ち災を招き寿を縮む」等云云を実現させたのである。
そして小野妹子を隋に派遣(遣隋使)し、隋の皇帝・煬帝に手紙を送ることとなる。
その手紙に云く「日出處天子致書日沒處天子無恙」と。
これによって、日本が世界に正式に国家と認めさせることができたのである。
すなわち「世界史の中の日本国の成立」である。
隋の煬帝と、日本の聖徳太子には実は深い因縁があった。
詳しくは聖徳太子 (shingu-net.com)
隋と対等な国交を結んだことにより、日本は急速に発展することができた。
これが飛鳥文化である。
歴史に「もし~~なら」は通用しない。
しかしあえて「もし~~なら」を使わせてもらおう。
もし先の戦で聖徳太子・蘇我氏が負け、物部氏が勝っていたなら、絶対に日本と隋は対等な国交を結ぶことはできなかった。
聖徳太子だからこそ隋の煬帝と正式に対等な国交を結ぶことができたのであって、他の人ではそれは絶対にできない。
日本が仏の国になったからこそである。
もう一度「もし~~なら」を使わせてもらおう。
もし日本が神の国であったなら、日本は隋に攻め亡ぼされていたか、あるいは隋の属国となり、「日本」という国名は存在しなかったか、あるいは消滅していたであろう。
日本会議及び神道政治連盟の欺瞞の極み、ここに尽くれり。
千四百数十年の時を超え、再び神を崇め仏を貶す日本会議と神政連。
新型コロナという未曽有の大疫病の根本原因は、仏の国である日本を神の国にせんとする日本会議と神政連による悪計である。
この姿、まさに蘇我と物部の戦いの時の疫病流行のごとくであり、仏に背く罰の姿である。
ここに、日本会議と神政連の主張の根底の間違いを歴史上の事実に基づいて証明するものである。
日本国を亡ぼす根本原因は、国家神道再興を目論む日本会議と神政連の悪計によるものである。 |
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2)日本の伝統と国柄に基づき、国土と国民を守ることのできる憲法の制定をめざします。
日本会議の下部組織に「憲法改正を実現する1000万人ネットワーク 美しい日本の憲法をつくる国民の会」という組織がある。
この組織が目指しているのがこの部分である。
まったく曖昧、まるで詐欺師が言葉巧みに人を騙すような言い回しである。
でたらめを解説することほど難しいことはないが、このでたらめを頑張って解説していく。
文面上は1つの文章だが、これは2つに分けることができる。
①には「日本の伝統と国柄に基づいた憲法の制定をめざす」。
②には「国土と国民を守ることのできる憲法の制定をめざす」。
つまり、日本の伝統と国柄に基づいた憲法がすなわち、国土と国民を守る憲法なのだということである。
①の「日本の伝統と国柄に基づいた憲法の制定をめざす」とは、先の1)で述べたごとく、天皇を国民統合の中心として国家神道を復活させた憲法にするということ。
②の「国土と国民を守ることのできる憲法の制定をめざす」とは、天皇を国民統合の中心として国民を一致団結させ、中国・ロシア・朝鮮に対抗すべく専守防衛の自衛隊ではなく、先制攻撃可能な国軍を創設し、核を保有できる憲法を制定するということ。
これこそが安倍晋三が提唱した「戦後レジームの脱却」ということである。
この「戦後レジームの脱却」について一言解説を加える。
「戦後レジーム」とは、日本は敗戦国であるという枠組みということ。
日本はすでに経済大国であり、軍事力も世界有数である。
だから「敗戦国」とのレッテルは剥がさなければならない、と言わんとしているのである。
この「敗戦国」というレッテルを剥がす方法が、憲法改正だというのである。
さて、この欺瞞を暴くとしよう。
この欺瞞を暴くのはいたって簡単。
国軍を創設し、核を保有しようとも、アメリカをも凌駕せんとする中国の圧倒的な軍事力を前にして、日本は成す術もない。
これが現実である。
そもそも、自衛隊の最高指揮官は内閣総理大臣である。
衆議院調査局の調べによれば、安倍首相は野党の質問に対し「桜を見る会」に関する答弁だけで118回の虚偽答弁をしていたという。
まさに国会・国民を騙していた。
このような者が自衛隊の最高指揮官だったのである。
ここに面白い名言を一つ挙げる。
「一頭の狼に率いられた百頭の羊の群れは、一頭の羊に率いられた百頭の狼の群れにまさる。- ナポレオン・ボナパルト -」
軍隊の強い弱いは、兵士たちの強い弱いではなく、その軍隊を率いる指揮官の強さ弱さで決まるものなのだ、と。
圧倒的な軍事力を持ち、命がけの指揮官が率いる中国軍と、都合が悪くなれば仮病を使ってすぐに辞めてしまうような指揮官が率いる日本軍が戦って、勝てるわけがない。
すなわち、美しい日本の憲法を作ろうが何しようが、日本は中国には勝てない。 |