亡国を招く日本会議と高市政権


日本会議とは
日本会議は、1997年5月30日に設立された、日本最大の右翼系保守系政治・宗教団体である。

関連団体に「日本会議国会議員懇談会」、「日本会議地方議員連盟」、「皇室の伝統を守る国民の会」、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」、「明治の日推進協議会」、「日本女性の会」等がある。

1974年4月2日、臨済宗円覚寺派管長の朝比奈宗源が神道・仏教系の新宗教に呼びかけ、神社本庁や生長の家などが中心となり「日本を守る会」を結成。

途中は割愛するが、いろいろあってこの「日本を守る会」が「日本会議」となる。

1997年5月30日、日本会議の設立大会がホテルニューオータニで開催。
設立時の主たる役員は、
会長:塚本幸一。
副会長:安西愛子、石井公一郎、岡本健治、小田村四郎、小堀桂一郎。
代表委員:石原慎太郎、三波春夫、加藤芳郎、春風亭柳昇、外山勝志ほか。
理事長:田中安比呂。
事務総長:椛島有三。

日本会議が目指すもの
  1. 美しい伝統の国柄を明日の日本へ
  2. 新しい時代にふさわしい新憲法を
  3. 国の名誉と国民の命を守る政治を
  4. 日本の感性をはぐくむ教育の創造を
  5. 国の安全を高め世界への平和貢献を
  6. 共生共栄の心でむすぶ世界との友好を
日本会議がめざすもの « 日本会議
注目すべきは、1.、2.、5である。
それぞれを見ていく。
1.美しい伝統の国柄を明日の日本へ
紛れもなく、これは天皇を中心とした国家づくりを目指したものである。
2.新しい時代にふさわしい新憲法を
憲法とは…
国家の統治作用及び権力者や政府の統治権、法令(懲罰)の制定や施行などに関する根本的な原則を定める特別な法令(最高法規)のことである。
つまり、国家の最高位に位置する法令である。

例えば、日本国初の憲法である、聖徳太子が作った17条憲法には
第1条・和を以て貴しとなす。
この第1条を実現するために国家・国民は何をどうすべきか、また何をせざるべきことがが、第2条から続くのである。
要するに、憲法第1条はその憲法の中心であり、以降はその派生である。

日本国憲法第1章第1条にはこうある。
第一章 天皇
〔天皇の地位と主権在民〕
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
これを変更しようというのである。

1.と合わせ見れば結論は見えてくる。
つまり、新憲法とは天皇を中心とした国家にすることを謳ったものとすることを目指しているのである。
その具体例こそ、大日本帝国憲法である。
大日本帝国憲法第1条にはこうある。
大日本帝国憲法
第一章 天皇
第一条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス

これこそが日本会議の目指す新憲法の肝要中の肝要である。
5.国の安全を高め世界への平和貢献を
これは、【3.国の名誉と国民の命を守る政治】を実現させるための具体的政策である。

つまりは「武力保持」である。
これは戦後の歴史の大転換である。

これまで戦後の日本は「日米安保」のもとで経済繁栄だけを追い求めてきたが、これを脱却して自分の国は自分で守るということである。

日本会議が目指す目的。
天皇を中心として国民が一体となり、中国・ロシア・北朝鮮等侵略国家からこの国を守るために武力を保持するのだ。
ということである。

神社本庁とは
神社本庁は、神宮(伊勢神宮)を本宗とし、日本各地の神社を包括する宗教法人。
神道系の宗教団体として日本最大であり、約8万社ある日本の神社のうち主要なものなど7万8千社以上が加盟している。
神社本庁が本宗としている伊勢神宮には、言うまでもないが天照大神が祀られている。

この天照大神の来孫(5親等の直系親族。孫の孫の子)が神武天皇であり、神武天皇の子孫が現在の天皇である。

神道政治連盟とは
神道政治連盟(しんとうせいじれんめい)は、日本の政治団体。
略称名は神政連。神社界を母体として1969年11月8日に結成された神社本庁のロビー活動団体である。
神道政治連盟 - Wikipedia

神道政治連盟国会議員懇談会
神道政治連盟国会議員懇談会(しんとうせいじれんめい こっかいぎいんこんだんかい)は、神社本庁の関係団体である『神道政治連盟』(神政連)の理念に賛同する日本の国会議員により構成される議員連盟である。
1970年5月11日に結成された。
神道政治連盟国会議員懇談会 - Wikipedia

日本会議と神社本庁の関係
日本会議が目指すのは、天皇を中心とした国づくり。
神社本庁は天皇の元祖である神武天皇の祖先である天照大神を祀っている伊勢神宮を本宗としている。

氏名 職歴等 神道政治連盟 日本会議
服部貞弘 岩津天満宮名誉宮司 会長 日本会議顧問
宮崎義敬 忌宮神社宮司 会長 日本会議代表委員
長曽我部延昭 伊豫豆比古命神社名誉宮司 会長 日本会議代表委員
打田文博 小國神社宮司 会長 日本会議代表委員
服部憲明 岩津天満宮宮司 副会長 日本会議愛知県本部代表委員
徳川康久 靖国神社宮司 事務局長 日本会議代表委員
大原康男 宗教学者 政策委員 日本会議政策委員
百地章 法学者 政策委員 日本会議政策委員
伊藤哲夫 政治活動家 政策委員 日本会議政策委員
星野和彦 戸隠神社宮司 新潟県本部長 日本会議新潟県本部事務局長
田中恆清 神社本庁総長 京都府本部長 日本会議副会長
衞藤恭 片山神社宮司 大阪府本部長 日本会議大阪運営委員長
柳澤忠麿 大阪護國神社宮司 大阪府本部長 日本会議大阪運営委員長
本名孝至 伊弉諾神宮宮司 兵庫県本部長 日本会議兵庫運営委員長
竹間宗麿 高良大社宮司 福岡県本部長 日本会議福岡参与
川上親昌 鹿児島神宮宮司 鹿児島県本部長 日本会議鹿児島会長

日本会議と神社本庁はまさに一枚岩のごとくである。

ついでに、日本会議設立を呼び掛けた朝比奈宗源が管長を務める臨済宗を破しておく。
1.誰もがわかる現証を示す
臨済宗とは禅宗の一派である。
そしてこの禅宗の開祖こそが、面壁九年で有名なあの達磨大師である。

洞窟の中で壁に向って9年間座禅を組んで悟りを開いたという。

結果どうなったかというと、座禅を組みすぎて手足が腐り、さらには暗い洞窟で修行をしているうちに目が見えなくなったという。
この苦しみぬいた姿が今日のダルマさんである。

世間では選挙の当選して目を書いたり、めでたいモノとしてダルマを飾るが、実は醜い不幸の象徴なのである。

悟りを開いたというが、結果的に醜い不幸な姿となった。
これ実はまったく悟りなど開いていないことの証明である。

2.次に、禅宗がでたらめであることを証明するために、少々難解だが文証を示す
経典などに書かれた文字に頼るのではなく、座禅を中心とした行動を通じて悟りを得ようとするのが禅宗の立場。
釈迦は、座り続ける修行を通して禅の境地に至ったとされているから、釈迦仏と同じ修行をすれば、釈迦仏と同じ悟りが開けるのだという。
釈迦仏をけなし貶めること、この上ない。

禅宗は、座禅などの行動によって悟りを開くことを目指す宗派だから、経典や文字による教えには頼らないようだ。
釈迦仏の悟りが月だとしたら、経典は月をさす指だという。

四聖句という、禅宗の開祖・達磨大師が示した禅の本質を表す4つの言葉
  • 「不立文字(ふりゅうもんじ)」・・・悟りとは文字で示すことができないものであるということ。
  • 「教外別伝(きょうげべつでん)」・・・経典などでは伝えられない真実を、禅という行為の中に自ら気づくこと。
  • 「直指人心(じきしにんしん)」・・・自分の心の奥を直視して、仏性に直に触れること
  • 「見性成仏(けんしょうじょうぶつ)」・・・自分の心にある仏性を見究めて、その仏性と一体となること
この4つを要約すると・・・
自分の心の奥を直視して仏性に直に触れ、仏性を見極め、その仏性と一体となることが「悟り」であり、このことは経典では伝えられない真実だから文字で示すことができない。
心の奥の仏性が「月」で、この仏性をさす「指」が経典なのだという。

でたらめもいい加減にしたほうがよい。

早速だが、禅宗を論破していく。

禅宗が言う「禅の境地にいたった」という釈迦仏は如何様に説き給うておられるのか。
涅槃経に云く「若し仏の所説に順はざる者有らば、当に知るべし、是の人は是れ魔の眷属なり(當知是等眞我弟子。若有不隨佛所説者。是魔眷属)」
法華経方便品「世尊の法は久しくして後に要当に真実を説きたまうべし(世尊法久後 要当説真実)」
法華経には「当に真実を説き給うべし」と説かれ、涅槃経には「仏の所説に随わない者は魔の眷属」と仰せ給う。

禅門、反詰して云く
「世尊云、吾有正法眼藏、涅槃妙心、實相無相、微妙法門。不立文字、敎外別傳、付囑摩訶迦葉」
(世尊云く、「吾に正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、微妙の法門有り。不立文字、教外別伝、摩訶迦葉に付嘱す」)
釈尊は、「不立文字、教外別伝、摩訶迦葉に付嘱した」と説いているではないか。
問う。
「世尊云、吾有正法眼藏、涅槃妙心、實相無相、微妙法門。不立文字、敎外別傳、付囑摩訶迦葉」とはどの経文に説かれているのか?
禅門答えて云く
「大梵天王問仏決疑経」という経典に書かれている。
さらに問う。
「大梵天王問仏決疑経」は誰が訳したのか?禅門の文献のどこにも記されていないが、これ如何?
(インドの古代サンスクリット語から中国の漢文に訳したのは誰か?)
禅門答えて云く
この経は秘経であるゆえに文だけが天竺(インド)から渡ってきたのだ。
重ねて問う。
では聞くが、いつの時代に誰が天竺から中国に持ち込んだのか?
禅門にとって最上位に置くべき経典なのではないか!
誰が訳したのかも、いつ中国に渡って来たのかも、誰が持ち込んできたのかもわからないというのは、勝手に作り上げたでたらめな偽書であることの確固たる証拠である。
もう一度言っておく。
涅槃経に云く「仏の所説に随わない者は魔の眷属」と。

禅門は「不立文字、教外別伝」とて、経典には真実は説かれず、経の外に別に伝えてあると云い、
釈迦仏は、法華経に「当に真実を説き給うべし」と説き給う。

釈迦仏と禅門の輩、相違なること天地のごとし。

そもそも、経典には頼らないのだと言っておきながら、経典に頼っているではないか!

以上、少々寄り道してしまったが、論破終了。

廃仏毀釈
慶応4年3月13日(1868年4月5日)、政府より「神仏分離令」「神仏判然令」と通称される太政官布告、および明治3年1月3日(1870年2月3日)に出された詔書「大教宣布」など、仏教からくる国民負担の軽減策が出された。
こうした軽減策は、当初は神道と仏教の分離が目的の行政改革であり、仏教排斥を意図したものではなかった。
しかし、結果として長年仏教に圧迫されてきたと考える神職者たちによって廃仏運動が惹起され、平田派国学者の神職や民衆によって仏像や仏具が破棄される廃仏毀釈運動が全国的に発生することとなった。
廃仏毀釈 - Wikipedia
幕末から明治にかけて、仏教界が国民に相当な負担をかけていたことがわかる。
これに反発する形で神社関係者が廃仏毀釈運動を起こしたものであった。

ここに、神社関係者は日本の最高位の神である天照大神の子孫である天皇を国家の中心とすべきと主張し、大日本帝国憲法の基礎となっていくのである。

臨済宗円覚寺派管長・朝比奈宗源の矛盾
臨済宗円覚寺派管長の朝比奈宗源が神道・仏教系の新宗教に呼びかけ、神社本庁や生長の家などが中心となり「日本を守る会」を設立。

廃仏毀釈の歴史を知っているはずである仏教界にとっては、本来であれば絶対に神社本庁等の神道系とは相容れないはずである。

ところがそれらが仲良しこよしに手を組んで「日本を守る会」などと銘打った団体を設立したのである。
手足が腐っているはずなのに「手を組む」とはこれいかに。

これ実は、衰退の極みにあった宗勢を蘇らすために神道系に助け舟を求めたのである。
神道系は神道系で助け舟を出すことで仏教界を利用したのである。

ここに互いの思惑は一致したのであった。

達磨大師が面壁九年によって視力を失ったごとく、何も見えていないのであろう。
手足が腐ってしまったことで自分では何もできないのであろう。
見えず、歩めず、掴めず。

先に言っておくが、「日本を守る会」すなわち「日本会議」では日本は守れない。
これはすでに歴史が証明している。

生長の家
ついでに生長の家についても叩き切っておく。
生長の家(せいちょうのいえ)は、1930年(昭和5年)に谷口雅春が創設した新宗教。
その信仰は、神道・仏教・キリスト教・イスラム教・ユダヤ教等の教えに加え、心理学・哲学などを融合させている。

その最大の特徴は、生長の家創始者である谷口雅春の思想である、神道や仏教、キリスト教など諸宗教は、その根本においては一致しているという「万教帰一」の概念である。
生長の家 - Wikipedia
なんとまぁ、立派なでたらめをほざいているものかと感心する。

まず、神道・仏教が融合するわけがない。
それは先に示した廃仏毀釈もそうだが、それ以前の飛鳥時代にも融合するわけがないことが証明している。

丁未の乱(ていびのらん)
丁未の乱(ていびのらん)は、飛鳥時代に起きた内乱である。
丁未の変、丁未の役、物部守屋の変、衣摺の戦いともいう。
仏教の礼拝を巡って大臣・蘇我馬子と対立した大連・物部守屋が戦い、物部氏の守屋宗家が滅ぼされた。
丁未の乱 - Wikipedia

この丁未の乱において、仏法を立てるべきと主張した蘇我馬子についたのが、聖徳太子である。

実はこの戦い、聖徳太子側は3回負けているのである。
その3回の戦いは、聖徳太子は武力に頼って物部氏に戦いを挑んでいた。
それでは力及ばず。
最後に仏に祈念し、勝利を収めることができたのである。

これ、神は負け、仏が勝った歴史的事実である。
このとき、神は仏にくだったのである。
まさに仏は主君、神は所従となったのである。

生長の家の基本思想である「万教帰一」なるものが、でたらめであることを証明
次に、ざっくりとキリスト教・イスラム教・ユダヤ教の歴史を見ていく。
その詳細については専門家に任せるとして、ざっくり言うとこういうことである。

まずユダヤ教が誕生する。
その後ユダヤ教から離れたキリストが開祖となってキリスト教が誕生する。
キリスト教こそが真の神の教えだとほざいて十字架と武器を手にし、十字軍を世界各地に派遣して侵略を開始する。
ザビエルが日本に来てキリスト教を弘めようとしたのも、侵略が目的だったのである。

世界各地を蹂躙し、中南米の帝国を金銀財宝を奪って亡ぼし、アフリカから無数の黒人たちを奴隷船に乗せて世界各地に売りさばいたのがキリスト教である。
その侵略は日露戦争直前まで続いた。

この侵略的宗教団体キリスト教に真っ向から対立したのがイスラム教である。

このように、キリスト教・イスラム教・ユダヤ教の歴史を見れば、絶対に相容れることがないことがわかろう。
生長の家創始者である谷口雅春のいうところの「万教帰一」の概念が破綻していることがよくわかる。

明治以降、天照大神を祀り天皇を中心とした国になった結果を見よ。
幕末、黒船来航を機として尊王攘夷派と開国派で争い、全国を巻き込んだ内乱が勃発。
結果は御存知のとおり天皇側が勝利し、徳川幕府はその政権を天皇側へ戻した。
大政奉還である。

ここに天皇が中心となった明治政府が誕生することとなる。

しかしながら幕末の火種が日本各地でくすぶり、日本国民はばらばらであった。

そのような中でイギリスやロシアなどの侵略国家が日本を取り囲んでいる。
しかし日本国内はみんなばらばらである。
いま攻め込まれたらひとたまりもない。
どうすればこの国難を切り抜けることができるか。

そこで目をつけたのが、天皇を「現人神」として国をまとめる中心に据えることであった。
廃仏毀釈運動と相俟って、天皇を中心とした国家が誕生し、その憲法の1丁目1番地に掲げたのが、先ほどの「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」である。

その後、日本は西洋列強に対抗するため、殖産興業と富国強兵を推進し、世界に並ぶ近代化に成功する。

しかしながらそれより、日清・日露・日中戦争に巻き込まれ、最後、日米戦争によって2発の原爆を落とされ、日本は惨めな敗戦を迎えたのである。

日本は敗戦後、国防はアメリカに全権委任し、経済繁栄だけを求める、まさに豚小屋の豚のごとく、エサを与えられてブクブクと太ったような国家になり下がった。
こうして日本は経済的な繁栄を享受することができた。

しかし今、世界情勢は大きな地殻変動を起こし、中国が台頭、ロシアは侵略を開始、アメリカは世界の警察を放棄。

もう国防をアメリカに委ねることができなくなってきた。

そこで出てきたのが、軍隊を持ち、自分の国は自分で守るという、「日本会議の目指すもの5.国の安全を高め世界への平和貢献」である。

日本は勝てない。
しかし、いくら日本が武力を持っていたとしても、絶対に勝てない。
なぜか?
理由は2つ。

1には、高市政権が国防について真剣に考えていないゆえ。
②トランプ米大統領の専用ヘリ「マリーンワン」に
同乗した高市首相(高市首相のXから)
原子力空母ジョージ・ワシントン
まさに「銀座のママのお見送り」である。
そして世界最強の空母打撃群である第7艦隊所属の原子力空母「ジョージ・ワシントン」の艦上でこのはしゃぎっぷり。
「自分の国は自分で守る」などとよく言えたものである。
国防を真剣に考えていないことがよくわかる。

2には、天照大神は日本を守護しないゆえ。
物部氏が負けて亡びたのも、日本が日米戦争で負けて滅亡しかけたのも、理由は全く同じである。
神が日本を守護しなかったからである。

高市政権および日本会議が国を亡ぼす
天照大神を祀り天皇を中心とした国家にした結果、日本は惨めな敗戦を招いた。
高市政権および日本会議はもう一度これを繰り返そうとしている。
1945年は崖っぷちで亡国を免れることができた。
しかし今度の戦はそうはいかない。
もしもう一度これを繰り返すならば、次は必ず国は亡ぶ。

日本がアメリカによる支配から脱却して真の独立を果たし、恒久平和を得る方法。
仏は主君、神は所従であることはすでに決定している。
しかしながら日本会議設立を呼び掛けたのは仏教界からであった。

また、仏を敬わず、それどころか仏を侵略的教団であるキリスト教や、テロ教団イスラム教等と融合させようとしている生長の家が日本会議設立の呼び掛けに応じた事実。

主君である仏を敬わない日本会議の思想に、どうして仏の所従である神が守護しようというのか。

仏を敬わない国を仏の所従である神が守護するわけがない。

これが神が日本を守護しなかった理由である。

ではどうすればこれから起こらんとする戦に勝てるのか。
負ける理由は物部氏や日米戦争という歴史がすでに教えてくれている。

ではどうすれば・・・
もう一度歴史を見直してみるべきである。

そこにはっきりと歴史が証明してくれていることがわかる。

それこそ、聖徳太子が物部氏との戦に勝った理由である。

update 2026.3.17
since 2026.3.17

しんぐうネットTOP