御燈祭の愚行 |
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市議会議員がたいまつで殴打 伝統“火祭り”が騒然...何が 直撃取材に「深く反省」 | 文春オンライン (bunshun.jp) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
激しく炎を上げる大たいまつを手に、祭りの参加者をかき分けて参道を降りてくる男性。 真っ赤な鳥居が見えてきた、その時だった。 燃え盛るたいまつを振り上げた男性が、たいまつを何度もたたきつけ、周囲に無数の火の粉が飛び散る。 たいまつを振り下ろした先には、倒れ込んだ人の姿が。 まさかの事態に、祭りの参加者であふれ返っていた境内は騒然とした。 別の映像を見ると、大きなたいまつを持った男性が、横たわる男性の背中に向け、たいまつを何度もたたきつけているのがわかる。 この映像は2月6日、和歌山・新宮市で行われた火祭りの参加者が撮影したもの。 地元住民「悲しいですね。せっかく4年ぶりに開催されたのにね」 伝統の祭りをめぐり、地元住民が困惑する事態は「イット!」に寄せられた情報提供により明らかになった。 情報提供者「動画を見ての通り、命に関わってもおかしくないようなたたき方をしていると思うので、これはおかしいんじゃないかという声が周囲で上がっている」 たいまつを持った男たちで埋め尽くされた境内。 2月6日、新宮市にある世界遺産の神倉神社で4年ぶりに行われた「御燈祭(おとうまつり)」の様子。 “上がり子”と呼ばれる、白装束に身を包んだおよそ1,500人が集まり、身体健康や金運開花などの願いが書かれたたいまつに火をともす。 そして、門が開かれると、男たちが538段の石段を一気に駆け下りる。 1400年前から伝わるとされる歴史ある祭りでまさかの事態が起きたのは、この直前のことだった。 御神火を運ぶ役割の大たいまつを持った男性が突然、燃え盛るたいまつを振り下ろし、倒れ込んだ上がり子の1人を激しく殴打。 大たいまつを運ぶ役目のさなかに祭りの参加者を殴打したのは、市議会議員の男性だった。 21日、男性を直撃すると、「お祭りを進行していく中で気持ちが高ぶってしまい、お祭り用のたいまつでたたいてしまった。深く反省している」と、自らが殴打した事実を認め、謝罪した。 そのきっかけは、殴打の直前の映像に映っていた。 市議会議員の代理人によると、上がり子による妨害は例年あることだが、何度も妨害や暴行を受ける中で、今回の件が発生したと説明している。 過去5回ほど参加しているという上がり子の1人は、「4年ぶりに行われたということで、結構ヤジも多かった」と話した。 地元住民「そういうの聞くと怖いですよね」 祭りを執り行う熊野速玉神社は、「祭りとしては千何百年続いているもの。モラルを守り、誇りを持ってもらってお祭りに取り組んでほしい」とコメントしている。 |
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毎年2月6日に行われる伝統行事である。 一度見に来てみるといい。 とても面白い光景を見ることができる。 ”上がり子”という名の1500人ものサルたちが「キィー・キィー」と喚き散らしながら山登りする滑稽な姿を。 今年はさらにサル山のボス猿の大暴れを見ることができたようだ。 得体の知れぬ、姿も名前も知らない「神」の社(やしろ)に向けて一斉に山登りをする姿はまさに「ばら撒かれたイモに群がるサル」そのものである。 サル山のサルを見に来る見物客を見物するのも面白い。 そこら中で違法駐車、それどころか人が借りている駐車場まで勝手に使用し、そこら中でゴミはポイ捨て。 行事が終わってからもまた面白い。 酒を飲んでいたのか、顔を赤らめて大声で騒ぎながら町中を闊歩している。 やっていることが「サル」ならば、顔まで「サル」になっている。 翌朝の街中を歩いてみるのもまた面白い。 ばら撒かれたイモがサルに食い散らかされたように、街中ゴミだらけだ。 ある人に問うた。 「なぜ参加するのか」と。 ある人答えて曰く 「神倉の神が新宮を守ってくれているからだ」と。 重ねて問うた。 「その神は何という名だ?どのような姿をしているのか?その神は火をつけた松明を持って山登りをしろと説いたのか?新宮を守る力があるのか?」と。 ある人答えて曰く 「知らぬ。昔からの伝統行事だからやっている」と。 おそらくは、この「ある人」の答えがこの行事の参加者の最大公約数的な回答であろう。 恐ろしいことである。 名も知らぬ、姿形も知らぬ、何も説かぬ、力も無い、存在もしない神を作り上げ祭り上げ、それが1400年も伝統として続いているという。 さらには、この神倉神社が世界遺産となっており、市を挙げて観光名所として宣伝している。 最近では海外からの観光客が神倉神社に登る姿も見受けられる。 まさに神倉神社に祀られている「神」をお金儲けのための「客寄せパンダ」として「利用」しているのである。 |
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この「御燈祭(おとうまつり)」は「神事」である。 神事の最中に暴行があり、さらにはヤジが飛び交う。 もし神が実在するのであれば、暴行やヤジを飛ばした者は即座に罰が出るはずである。 が、今のところ当事者には神の罰は無いようである。 罰がないのには二つの理由が考えられる。 一つは、神倉神社に祀られている神には罰する力がないということ。 もう一つは、そもそも神倉神社には神が存在していないということ。 一つ目の「神倉神社の神には罰する力がない」について、 罰する力がないということは、信じても利益がないということである。 例えば犯罪を起こしても罰せられることが無ければ、世の中は犯罪者だらけとなって社会は無秩序となる。 無秩序の社会において法律を守ったところで、誰が助けてくれるというのか。 |
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昔、中国に「周」(紀元前1046年頃-紀元前256年)という名の古王朝があった。 約800年もの長い間栄えたすぐれた国であった。 なぜ長い間栄えたのか? それは、すぐれた国王が「礼」を根本道徳として国を治めたからである。 やがて周も亡んでしまうこととなるのだが、それには前兆があった。 礼節を重んずる周において、神聖なる祭りを行う際は、もっとも身だしなみを整えるべき行事であった。 ところが周の末期になると、神聖なる祭りに髪を振り乱し、肌を露出し、礼儀を無視して互いに乱暴な言葉を使って辱めあっていたという。 このような礼の乱れを見て、識者・辛有は「百年に及ばじ」と。 その後まもなく周は滅亡した。 |
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御燈祭を見れば、日本国まさに亡ぶべき前兆であることがわかる。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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