2020/10/3 無力な国連

トルコ強硬、露は対応苦慮 アルメニア・アゼルバイジャン衝突、停戦以後で最大規模に

10/2(金)22:10 配信

【モスクワ=小野田雄一、カイロ=佐藤貴生】
南カフカス地方の旧ソ連構成国、アルメニアとアゼルバイジャンの係争地、ナゴルノカラバフ自治州で続く両国の戦闘は死者が少なくとも170人を超え、1994年の両国停戦以降で最大規模の衝突となった。
トルコが支援するアゼルバイジャン側は、国際社会の求める戦闘停止の呼びかけに応じず、強硬姿勢を貫く。
アルメニアの後ろ盾であるロシアは有効な手立てを打てずに苦慮している。

自治州を実効支配するアルメニア側は2日、9月27日の戦闘開始以降に157人の兵士が死亡したと発表。
複数の民間人の死者も報告している。
アゼルバイジャンは民間人19人が死亡したとしている一方、兵士の被害は公表していない。
両国は「戦闘開始の責任は相手にある」と非難し合っているが、第三国の専門家の間では、戦闘の数日前から境界線に部隊を集結させ、戦闘直後に州内に進軍したアゼルバイジャンが主導したとの見方が強い。
産油国の同国では新型コロナウイルス禍による原油価格の下落で経済情勢が悪化しており、国民の不満を外部にそらそうとしたとの分析も出ている。
戦闘は同州内にとどまらない。
アルメニアは1日、本国への砲撃被害があったほか、首都エレバン近郊で無人機4機を撃墜したと発表した。
戦闘の激化を受け、両国和平の仲介役を担ってきた米露仏3カ国は1日、即時停戦を求める共同声明を発表。
しかしトルコのエルドアン大統領は「停戦にはアルメニア側の同州からの退去が必要だ」とし、聞き入れる構えを見せていない。
トルコは同じイスラム教国で民族的にも近いアゼルバイジャンを友好国とする一方、アルメニアとの間にはオスマン帝国時代の民族・宗教対立などからくる遺恨がある。
トルコがシリア民兵を組織して派兵し、航空支援を行っているとの情報もある。
旧オスマン帝国領への影響力拡大を図っているトルコには、紛争への介入を通じて資源国アゼルバイジャンを取り込みたいとの思惑が透ける。
一方、アルメニアの同盟国であり、アゼルバイジャンとも武器輸出などで関係を持つロシアは難しい立場に置かれている。
ロシアは勢力圏とみなす南カフカスの不安定化や、北大西洋条約機構(NATO)の一員であるトルコとの衝突を警戒し、介入には慎重姿勢を取っている。
ただ、ロシアは自国主導の「集団安全保障条約機構」(CSTO)に加盟するアルメニアの防衛義務を持つ。
アルメニア本国への攻撃が拡大した場合にはロシアも対応を迫られる。
出方次第では、同盟の盟主としてのロシアの威信低下は避けられない。
今回の戦闘が勃発した背景には、シリア内戦やリビア内戦でそれぞれ敵対勢力を支援するロシアとトルコの関係悪化があった可能性もある。
トルコの強硬姿勢を前に、ロシアがナゴルノカラバフをめぐって妥協を余儀なくされるとの見方も出てきた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/ceef3b56d6e1d00a95ad25ed8bb19c19745123e7

この事態に対し国連安全保障理事会は
国連安保理が緊急会合 アゼルバイジャンとアルメニアの戦闘で

2020年9月30日 10時35分

国連の安全保障理事会は、旧ソビエトのアゼルバイジャンとアルメニアが係争地をめぐって大規模な戦闘になっていることを受けて、29日緊急の会合を開き、双方の武力の行使を厳しく非難したうえで、対話の再開を求めることで一致しました。

アゼルバイジャンとアルメニアの間では、アゼルバイジャン西部に位置するナゴルノカラバフ自治州を巡って大規模な戦闘になり、29日までの3日間で死者は双方合わせて100人に上っています。

この事態を受けて、国連の安全保障理事会は29日緊急の会合を開き、議長を務めるニジェールのアバーリ国連大使は、各国が大規模な戦闘に懸念を示し、双方の武力の行使を厳しく非難するとともに、民間人の犠牲が出たことに遺憾の意を表明したことを明らかにしました。

そして、国連のグテーレス事務総長による即時停戦の呼びかけを支持するとしたうえで、これまで両国の紛争解決の仲介に当たってきたOSCE=ヨーロッパ安全保障協力機構が中心的な役割を果たすことを全面的に支援し、両国には対話の再開に向けてOSCEと取り組むよう求めています。

一方、国連総会では29日、両国の代表が今回の戦闘について相手側を非難する場面もあり、対立の根深さを国際社会に印象づけました。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200930/k10012640891000.html

そもそも国連とは
国際連合:その憲章と機構
UN CHARTER, STRUCTURE AND SYSTEM

UN Photo/McCreary

平和への闘いに終わりはない。
一世紀以上も前にさかのぼる1899年、危機を平和的に解決し、戦争を防止し、かつ戦争の規則を法典化する目的で最初の国際平和会議(International Peace Conference)がオランダのハーグで開かれた。
会議は「国際紛争の平和的処理に関する条約」を採択し、常設仲裁裁判所を設置した。
裁判所の作業は1902年に始まった。
続いて1919年、ベルサイユ条約のもとに国際連盟(League of Nations)が設立された。
この機関は第一次世界大戦のさなかに構想され、「国際協力を促進し、平和安寧を完成する」ことを目的としていた。
国際連盟は第二次世界大戦の防止に失敗し、その活動を停止したものの、国際協力と対話を通して紛争を平和的に解決する必要は次第に高まっていった。

「国際連合(United Nations:連合国)」という名称は、第二次世界大戦中にアメリカのフランクリン・D・ルーズベルト大統領が考え出したものであった。
その言葉が最初に使われたのは、26カ国政府の代表が枢軸国に対して共に戦うと誓った1942年1月1日の「連合国宣言(Declaration by United Nations)」の中であった。
中国、ソビエト連邦、イギリス、アメリカの代表が1944年にワシントンD.C.に集まって行った審議に続き、翌年の1945年、50カ国の代表が「国際機関に関する連合国会議(United Nations Conference on International Organization)」に出席するためにサンフランシスコに集まった。
会議では「戦争の惨害」を終わらせるとの強い決意のもとに国際連合憲章(Charter of the United Nations)が起草され、1945年6月26日に署名された。

国際連合は中国、フランス、ソビエト連邦、イギリス、アメリカおよびその他の署名国の過半数が批准したことを受けて1945年10月24日に正式に設立された。
本部はニューヨークに置かれることになった。
世界平和に対するこの歴史的誓約を記念して、毎年10月24日は「国連デー(United Nations Day)」として祝う行事が各国で行われる。
第二次世界大戦が引き起こした鋭い対立や多くの審議の対象となったその後の冷戦によって世界が二分化されたにもかかわらず、国連は今後もこの誓いに忠実に、成長を続ける。
今や世界では対立がより複雑になり、グローバルなテロリズムのような新たな脅威が出現してきた。
こうした問題に取り組むための世界的な交渉の場がこれまで以上に必要となった。
こうした状況のもとにあってはこの誓約は今まで以上に今日的な意義を持つようになった。

国際連合広報センター】より

多くの人は「国連とは、世界中の紛争を解決する力を持った組織」だと認識していると思われる。
しかしこれを読むかぎり、国連は「紛争解決のための交渉の場」のようである。
ようするに「みんなで集まって問題解決のために話し合いましょう」というものである。

その結果、今回のアルメニアとアゼルバイジャンの事態を受けて、「国連の安全保障理事会は29日緊急の会合を開き、議長を務めるニジェールのアバーリ国連大使は、各国が大規模な戦闘に懸念を示し、双方の武力の行使を厳しく非難するとともに、民間人の犠牲が出たことに遺憾の意を表明したことを明らかにしました」と。

「お前ら喧嘩せずに仲良くしろよ!」と仲裁に入ることが国連の意義であるようだ。

「国際連合は中国、フランス、ソビエト連邦、イギリス、アメリカおよびその他の署名国の過半数が批准したことを受けて1945年10月24日に正式に設立された」とある。
その結果、国連の安保理常任理事国が米英仏ロ中の5大国となったのである。

しかしよく考えると、その設立当時の5大国のうち、ソビエト連邦は崩壊して消滅した。
中国(中華人民共和国)は1949年に建国されているのであるから、1945年に設立された当時の中国と、現在の中国は全く別物である。
それなのに拒否権を持つのは筋が通らない。

この5大国によって国連安保理が運営されているのである。

紛争などの問題が解決できるわけがない。
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