すでに起きている第2波 2020/6/15 NHKニュースサイトより
この感染者数を見て、「48人も!」と見るか、「たった48人か!」と見るか。 言い方ひとつで印象はガラッと変わる。 一読して、みなさんはどのような印象を持ったであろうか? 少なくとも、私は「”夜の街”が発生源になっている」という印象を受けた。 しかしよく読むと、”夜の街”に関係する人は合わせて23人と、全体48人に対して半分以下である。 裏を返せば、半数以上は”夜の街”とは関係ない人ということである。 そのほか、8人は友人同士で会食をした人たちとのことだが、いつ・どこで会食したのかは明らかにされていない。 明らかにできなかったのか?それとも明らかにしたくなかったのか? 48人のうち、35人は感染が確認されている人の濃厚接触者とあるが、「感染が確認されている人」というのは”夜の街”の関係者なのかそうではないのか? ”夜の街”の関係者ではなかったとしたら、”昼の街”の関係者であるということになる。 それはつまり、身近な人、あるいは電車内で同じ車両に乗っている人、あるいは街中ですれ違った人も、もしかしたら「感染が確認されている人の濃厚接触者」であるかもしれない。 そして48人のうち13人は感染経路がわかっていないとあるが、これも言い回しの印象操作で、感染経路がわかっていないのは『たった13人だけ』と言っているように聞こえる。 13人/48人で、割合からすると約27%。 4人に1人以上は感染経路不明なのである。 また、都内で死亡が確認された人の発表はなかったとある。 穿ってこれを見れば、「死亡が確認されたが、発表しなかった」とも捉えることができる。 そしてサイト制作者が赤文字にした「陽性者を出した飲食店の皆さんに積極的に検査を受けてもらったことによって陽性者が増えた」との部分を解読してみる。 この中の「積極的に検査を受けてもらった」という部分がカギである。 東京都としては、都民あるいは国民に「積極的に」コロナ対策に取り組んでいますよ!との印象を与える言い回しである。 だが、「積極的に検査を受けてもらった」というその対象者は「陽性者を出した飲食店の皆さん」である。 「陽性者を出した飲食店の皆さん」とは具体的には”夜の街”の関係者である。 ”夜の街”の関係者にとって、営業するしないは死活問題である。 営業したとしても、そこで働く陽性者が感染源になってしまったら大問題である。 それこそ二度と営業再開はできない。 だからこそ積極的に検査を受けざるを得ない。 しかし問題はそこではない。 ”夜の街”以外、すなわち”昼の街”で働く人たちにとって、「自分が感染していたら大変なことになる」ことがわかっているので、たとえ少々高い熱があったとしても検査を受けることには消極的である。 この部分から目を逸らさせるために、あえて”夜の街”を強調しているに過ぎないのである。 この発表で小池都知事が何を言わんとしているのかというと、「発生源は”夜の街”だから、それ以外の人たちは何の心配もないですよ」ということである。 そして専門家の話に移る。 「ふつうに街なかで暮らしている人がどこから感染したかわからないようなケースは多くはない。現時点では市中感染が広がっているとは考えにくい」との言い回しにどのような意図が隠されているのか? 何の気なしにこの一文を読むと、「感染経路はすべてわかっている。市中感染はしていない」との印象を受ける。 だが、よくよく掘り下げて読めば、「感染経路不明といったケースは多くはないが、少なくもない。市中感染が広がっているとは考えにくいが、広がっていないとも考えにくい」と言っているのである。 責任逃れの常套手段として使われる言い回しである。 「東京アラート」とは? 「アラート」とは「警報」の意味である。 「アラート」と「警報」は同じ意味であるにもかかわらず、「警報」がきつく聞こえるのに対して「アラート」と言われればなんとなく穏やかな印象を受ける。 「ロックダウン」と「都市封鎖」も同じ意味なのに、これもまた違ったニュアンスの印象を受ける。 ちゃんと日本語があるにもかかわらず、わざわざ横文字にしてわかりにくくすることに何の意味があるのか? ”昼の街”に目を向かわせないように、わざと”夜の街”を強調することに何の意味があるのか? 全日本人がいわゆる「コロナ疲れ」がピークに達してきた頃を見計らったかのように、なぜかちょうどいいタイミングで、大物芸能人のスキャンダルが表沙汰になった。 今まで遊んでいたおもちゃに飽きた子供が、新しく手に入れたおもちゃに夢中になるように、「コロナ疲れ」のストレスを発散するように新たなスキャンダルに多くの国民は夢中になっている。 小池都知事がなぜ何ごとに対しても曖昧な表現を使っているのか? その根底にあるのは、「政治的野心」である。 もし本当にコロナ禍を収束できたなら、そしてオリンピックも開催までこぎつけることができたなら、その名は歴史に刻まれるであろう。 これが小池都知事の「政治的野心」の一つである。 逆に、もしコロナ禍を抑えるどころか、かえって第2波・第3波を招いてしまったとしても、「私は”積極的に”対応していました。悪いのは”夜の街”の関係者であり、対策を怠った都民であります。私は悪くありません」と言い逃れができる。 わかりにくい横文字と、どちらとも取れる言い回しと、曖昧な表現の「言葉」という”手綱”を使って、「都民」という”馬”をうまく操っている。 うまくいけば「私の手綱さばきが上手だった」と言えるし、うまくいかなければ「馬が言うことを聞かなかった」と言える。 政治家の性分を見たような気がする。 小池都知事の政治的手腕に驚嘆するところではあるが、私が言いたいのはこれではない。 私が言いたいことは何か? それは「すでに第2波は起こっている」ということである。 |
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