地震学者の予知
2020/2/3

数多の地震学者は共通してこのように言っている。
「今日明日にでも首都直下および南海トラフ地震が発生する可能性がある」と。

数多の地震学者があらゆる見地から予知しているが、当ることがありつつも、そのほとんどは外れているようである。

この予知に対して大衆のほとんどはこのように感じている。
「予知なんてできない」
「出鱈目だ」
「当たるも八卦、外れるのも八卦」
「適当なことを言って金儲けしているだけだ」
などなど。

結果だけを見れば多くの大衆が感じることに同意することもできる。

「結果」こそ何よりも大事だが、多くの大衆は「結果」だけしか見ていない。

よくよく考えてみてほしい。
イカサマ、出鱈目、売名、金儲けのことしか考えていない「似非地震学者」は論外だが、多くの地震学者は真面目である。
その気持ちを考えれば、本当に頭の下がる思いだ。
その気持ちとは、「何とかしてその被害を最小限にとどめたい」というものである。

その気持ちのために、多くの時間を割き、知識を蓄え、足で歩いて調査し、データを積み重ね、万全の状態にして、その予知を発表しているはずである。

それなのに多くの大衆は「結果だけ」を見て、「地震学者なんてあてにならない」などと言う。

確かに、最も大事なことは「結果」である。
しかしなぜ「真面目な」地震学者の予知が外れるのであろうか。

結論を言おう。
地震学者の予知が外れているのではない。
地球がおかしいのだ。

どす黒い雲が上空を覆い、風が吹き、雷が鳴っているにもかかわらず、雨の滴が落ちてこないようなものである。

起るべきはずの地震が来ないということは何を意味しているのか。
それは「極限まで地震エネルギーが蓄積されている」ということにほかならない。
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