仕事への取組みの姿勢についての考察。
2016/1/9

我々は仕事をするために生まれてきたのではない。
かといって仕事をしなければ生きていけない。
(仕事をしなくても生きていける少数の特殊な者もいるが・・・)
仕事をする目的とは、お金儲けである。
というのが一般的な意見であろう。

しかし私はこのように考えている。
私は「人生の目的」を見据えている。
仕事とは、この人生の目的を達するための手段である。
逆に言えば、仕事とは、人生の目的を達するための手段でしかない。
だから、現在の仕事に強い執着はない。
他にも人生の目的を達するためのより良い手段があるならば、そちらを選ぶことも有り得る。

例えて言うなら、目的が「家を建てること」であるとする。
設計者は自分自身であり、大工も自分自身である。
ならば、仕事とは、家を建てるための「道具」であり、「道具」でしかない。
人間関係は、家の柱である。
お金とは、家の中の備品である。例えばエアコンや冷蔵庫や洗濯機・テレビ等々である。
いろんな経験や考えてきたこと・言動は、ねじや接着剤である。

昔の家には囲炉裏があった。
その囲炉裏から立ち上る煙で、その家の柱や天井が煤で汚れる。
しかしその煤が天井や柱の強力な接着剤の役目になる。
さらにはその煤が防虫効果ももたらす。

もしその煤が汚いからといって洗い落としてしまったならば、接着効果や防虫効果が失われてしまう。
つまり、今まで生きてきた中で「失敗したなぁ。やっちまったなぁ」と思うことは数え切れないほどあるが、それらはすべて、目的を達成するための接着剤である。

こんなことを言っていた人がいる。
「今までやってきたことを変えることはできない。しかし今までやってきたことの『意味』を変えることはできる」と。

「仕事」という「道具」が無ければ、「家を建てる」という「目的」が達成できない。
だから、決して倒れることのないしっかりした家を建てるために道具を大切に扱うのである。
道具を粗末に扱って、しっかりした家を建てることはできない。
しかし、「仕事」という「道具」にこだわりすぎれば、「目的」を見失ってしまう。

お金は大事である。
お金なんかいらない!なんて言っているわけではない。
お金は便利である。
お金がないと不便である。

大きい冷蔵庫も小さいそれも、冷やして保存するという効果は同じである。
大きいテレビも小さいそれも、映っているものは同じである。

人間関係は柱である。
人は一人では絶対に生きていくことはできない。
強がる無知な者は言う。
「今まで自分の力だけで生きてきた」と。
その身なりを見たらいい。
今着ている服は誰が編んだの?
乗っている車は誰が作ったの?
今まで食べてきたものは誰が育てたの?
そもそも誰から生まれてきたの?

そうしてその人を支える周りの人の存在の有難みがわかってくる。
それが自身の人生の目的の支えとなる。
つまり柱となる。

やってきたことは必ず自分自身に返ってくる。
誰がどう否定しようが、絶対に返ってくる。
それは「善」「悪」を通じてである。

相手に迷惑をかければ、それは巡り巡って自分に返ってくる。
相手に喜んでもらえば、それも巡り巡って自分に返ってくる。

もちろん喜んでもらおうとして、それがかえって迷惑になってしまうことも有ろうかと思う。
しかしそれはそれで一つの経験である。

これを踏まえた時、今自分は何をすべきなのかが見えてくる。

それは仕事に対してもである。

人生の目的を見据えた時、初めて「仕事をする意味」を知ることができるのである。

人生の目的を知らず持たずに生きていくことほど虚しいことはない。

「人生の目的」については、後日改めて語りたい。
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